鎌倉彫清流について

貴族から武士へと権力が移りし鎌倉時代。
武士による新政権が誕生した鎌倉の地では、運慶や快慶ら慶派の仏師たちが、写実的かつ力感に富んだ仏像彫刻の創造に励んでいた。
その鎌倉仏所の仏師たちの技術から生み出されたのが、彫りと塗りを調和させた鎌倉彫である。
彼ら仏師の手になる盆、鉢、箱物、茶器等は、さらに様々なバリエーションを生み、明治時代の廃仏毀釈を経て、造仏の需要は激減、余技として育んできた鎌倉彫に仏師たちは活路を求めた。
彫刻に漆芸を施した最強の工芸技法の合体により、過去から現代、そして未来へと、鎌倉彫の妙味はその際限を知らない。

そんな鎌倉彫の世界にあって、大正の時代にまた新たなる領域を開拓した流派があった。鎌倉彫清流。

癀古の天才であり、その始祖である湯川清山により、茶道、華道などと同様に、鎌倉彫の深淵なる世界が習い事のひとつとして確立されたのだった。

美に於ける精神の優位性を極めたその奥深さゆえ、閑院宮、伏見宮、北白川宮、竹田宮、李鍵公家、李鍝公家、華頂宮家など、旧皇族方のお習い事として、やむごとなき方々の美意識のご鍛錬に大きく寄与申し上げ、大和民族の本能の中へと深く浸透していった。

昭和に入り、二世清谷の世になると、その真摯たる質素質朴とした姿勢と、物腰柔らかくかつ気高き品性により、高貴なる旧皇族、公家方からの信頼をさらに厚きものとしたのだった。

まさに“疑念なき人なつこさの美”の具現化と言ってよろしい。
ともすれば、現代では伝統的土産物という見方が先行してしまう鎌倉彫に、鎌倉彫清流は新たなる流れを作り出したのだ。

鎌倉彫清流が、仏像彫刻の美と匠の凝縮である鎌倉彫の出自に、高尚なる“習い事”としての新たなる地位を授けたことの文化的意義は、日本美の深淵を探るとき、長く語り継がれることになるであろう。

清美